フリーターへの転落と拾う神

【あっという間にフリーターに】
1年で社内トップの成績をあげ営業で自信をつけた私は
ほとんど上がらなかった給与額に怒りを覚えたのもあり
1年1ヶ月で辞めることを決意。
辞めるまでの一ヶ月間は繁忙期だったので
会社に気を遣って有給も全く使わず転職活動もしないでいました。
これが本当に馬鹿だった・・・。
当時は就職氷河期でしたが新卒で就職活動していた頃は
地方とはいえ国立大だった私は書類で落とされる事は皆無。
さらに社会人として実績を出した今なら面接で話せることも
いくらでもあると過信していました。
実際はその面接にすら到達できませんでした。
新卒がいくらでも取れるような時代に
1年で辞めるような人間なんて中途で採らないですよね。
ふと気づくと雇用保険の給付期間も終わり
実家に寄生しながら深夜のカラオケ屋でバイトをする毎日。
自信を失いかけ夢を失いそうになった私の楽しみは
大好きなサッカーの応援をすることだけ。
大のサッカー好きである私は学生時代に友人と
某Jリーグのチームのサポーターを立ち上げており
2000年に7人で始めた応援は数千人レベルにまで
成長していました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、
そこでのリーダー格というのがフリーターの私に
残された最後の社会的地位でした。
自尊心を守ってくれる最後の砦。
フリーターの身でありながらなけなしのお金を全て費やし
アウェイもほぼ毎試合現地で応援をしていました。
何の生産性もなくただバイトして毎週末サッカーの応援をして
友人達と酒を飲む生活の繰り返し。
研究職を諦め営業職に申し込んでも書類で落とされ続け
このままどん底のまま自分の人生が終わってしまうのかと
思った頃、浮上のきっかけをくれたのはサッカーでした。
【 蜘蛛の糸を昇って環境ビジネスの入り口へ】
シーズンも半ばにさしかかりJリーグが中断期間に入ると
大抵、各チームは選手の激励会が開催します。
私の応援していたチームも例外ではなく
もちろん私も出席しました。
会場にはチームの選手をはじめとしてスタッフ、
スポンサー関係者、そしてたくさんのサポーターで賑わっていました。
総勢200名ほどだったと思います。
いつも通り友人たちと楽しく飲んで話しているうちに
激励会はあっという間に終了。
各来場者にお礼を言いながら席を回るスタッフの中に
チームの社長の姿を見つけます。
社長は私が辞めた会社のチーム会長でもある方でした。
3000人ほど社員がいたグループの会長ですから
平社員だった私は社員としては面接で一度会ったきりでしたが
サッカーのサポーターとしては顔を覚えられている存在でした。
仕事では縁が切れましたがサッカーではこれからも続いていく関係。
お世話になりましたと挨拶に行くと意外な言葉が帰って来ました。
会長「辞めたんだって?幹部候補として期待していたんだから
   俺に言わずに勝手に辞めるんじゃない
   やりたい事があるなら出来るだけ応援する連絡するように」
地の底まで落ち込んでいた自尊心が一瞬で復活しました。
携帯の番号が手書きで書かれた名刺を頂き、
片思いの女の子に電話をかけるくらい緊張しながら連絡をすると
銀座の事務所に来るように言われました。
してされた日に銀座に行くと今まで座ったこともないような
高そうなソファのある部屋に通され、会長とマンツーマンで話しをしました。
会長「辞めたのは聞いていた。ただ嫌になって辞めたのであれば
   気にしなかったが、調べると結果を出していたのにやめたようであった。
   なぜ辞めたのか。そして何がしたいのか聞かせて欲しい」
私が答えたのは以下の3点でした。
  
 ・いつか独立起業するための準備として営業を学びたかった。
 ・あれ以上営業を学ぼうとしても多くを学べそうもなかったので辞めた。
 ・次は新エネルギーに直接関わる仕事がしたい。
会長のグループに新エネルギー関連の会社がないのは当然知っていました。
そしてお偉いさんでも中々アポを取れないくらい忙しい方が
現在フリーターの私に声をかけてくれたのは嬉しかったのです。
でも、自分の道を変えてまで会長の好意に応えようとしてしまったら
また新たに迷惑をかけてしまいます。
もちろん他の全く関係のない会社を紹介してくれるかもしれないという
下心がなかったといえば嘘ですが・・・(笑)
しかしそこは会長。また想像の斜め上から提案を仕掛けてきます。
「よし。お前にやりたい事が出来る会社を作ろう。
 出資してやるから事業計画を作ってまたここに来るように」
独立起業は目指していましたが、こんなに早くチャンスが来るとは
全く思っていませんでした。もちろん事業計画の作り方なんて知りません。
帰りの足で図書館に寄り、事業計画立案のための本を借りて家路につきました。

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