空襲に怯え太陽光発電を志す

【10歳で空襲の恐怖に怯える毎日】
私が環境ビジネスを志すようになったのは小学4年生の恐怖体験から。
今でも全国共通のルールかは不明ですが
私が住んでいた神奈川県では小学校は2年ごとにクラスを替えをしていました。
3年生でお世話になった優しい女性の宮本先生が寿退社され、
代わりに担任となったのがいかつい顔をしたハゲ頭の男の鬼頭先生。
中途半端に生徒をかまってハゲと呼ばせ、5回くらい呼んだ頃に
突然キレて小学生相手にかなり強く殴る蹴る。
出来の悪い生徒は徹底的に差別し、お気に入りの生徒は優遇する。
(優遇された女の子の一人は無理矢理キスされたとか・・・)
この程度ならまだいいのですが(よくない!)
授業の質がまた酷かった。授業というよりただの洗脳時間。
学生運動に身を投じていたという彼はド左で大の自民党嫌い。
選挙制度もろくにわかっていない小学4年生にひたすら自民党の非を訴えます。
5分、10分ではなく数時間かけて。
そして必ず最後にはこのままだと戦争が起こると
戦争の悲惨な画像たっぷりのアサヒグラフを各班にまわし
小学生相手に酷いときは1限から6限まで煽り倒します。
10歳児だった私はもちろん、先生が嘘を言うなんて想像できません。
「アメリカが攻めて来るのはいつなんだろう」
「焼夷弾で防災頭巾なんて冠っていたら燃えてしまうのでは?」
「おばあちゃんの家に疎開したら空襲は来ないだろうか」
「お父さんお母さんが死んだら妹をどうやって育てよう・・・」
子供たちの心が荒んでいく中、鬼頭先生の洗脳は留まるところを知りません。
「中曽根が黒人を馬鹿だといいやがった!
 これで確実に戦争が起こる!
 みんな自民党が悪いんだ!」
私の頭は寝ても覚めても戦争の事でいっぱいでした。
ある日は経験した事もない空襲から逃げ、
翌日は浴びてもいない放射線におびえ、
さらに次の日は触れた事もない操縦桿を握り特攻機でアメリカ戦艦に体当たりする。
体験した事もない恐怖を毎日想像し続けました。
【小学生の決意】
平和な日本で戦争の恐怖に怯え続けた私は
戦争が憎くてたまらなくなりました。
でもなぜか
「世界中の人々が武器を捨てれば平和になるのに」
などという子供らしい発想には行き着きませんでした。
ある国が武器を捨てれば隣の国に攻め込まれる。
         ↓
どこの国も自分の欲を押さえられないだろうから
攻め込んでもメリットがないようにするしかないだろう。
誰かが何かを我慢しなくても良い方法で戦争をなくすにはどうしたらいいか。
         ↓
アメリカとソ連の核兵器保有による一時的な平和は不安定。
特にソ連のような悪い国(と当時は教育されていた)が
あんな恐ろしい兵器を持っているのはよくない。
         ↓
他の国を侵略しなくても全ての人が十分幸せな国になればいい
         ↓
ロボットが仕事をしてくれて人々は遊ぶだけで良い状態になれば
わざわざ人を殺してまで自分の欲を満たす人はいなくなる
   
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世界中の人々の仕事をロボットにやらせるとたら
石油では足りないだろうし原子力では怖いから太陽光発電かな
         ↓
太陽光発電の変換効率は低いらしいから効率のいいパネルを発明して
大金持ちになる事を目指して戦争の恐怖も消す事にしよう
子供ながらの単純さで将来の進路を朧げながら定めたのはこの頃でした。

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