検問地点から500mほど進むと
そこは広々とした草原になっていました。
これが一種農地だからといって
国が転用と認めない土地なのかと
思いながら眺めていると・・・
よく見るとところどころに車がありました。
津波で流されたきり、そのままなのでしょう。
大きなトラックもここまで・・・
ご遺体が見つからなかった方も
多数いらっしゃると聞きます。
ただ合掌するしかありませんでした。
海に近づくにつれ壊れた車の数が
多くなってきます。
ほとんど人がいなかった場所なのだと
思った私の予想はかなり的はずれだったようです。
場所で言うとこのあたり。
まだまだ海岸線までは1キロ近くあります。
更に海岸に向かって進んでいくと
いくつか残っている建物が見えました。
このあたりから道路が舗装されていませんでした。
重機があったので被災当時に
施工中だったのかもしれません。
更に気分が重くなってきます。
昼間なのに見えないものからの
プレッシャーに押しつぶされそうな
気がしてなりません。
この辺りから隣に誰かがいて欲しくて
たまらない気持ちになりました。
この時、木に引っかかっている十字型の柱が
人影に見えて本気で驚きました。
今になってみるとなんともない画像なのですが・・・
石碑もこの通り倒れていました。
奥の建物が残ったのが不思議なくらい
津波の破壊力は計り知れません。
こんなところで太陽光パネルが活躍していました。
もちろん事前に即座に人体に得強がない
レベルだと理解しながら入ってきたのですが、
生データを見ると安心します。
この瓦礫の山は恐らく他から運んできたものでしょう。
このままいつまで放置されるのか。
入り口で検問をしていたのは
泥棒対策かと思いましたが、
不法投棄対策もあるのかもしれませんね。
これ以上、海岸部には進めそうもないため
原発を目指すルートに戻ります。
途中で観光バスに遭遇しました。
何のツアーかは確認できませんでしたが
何とも言えぬ暗い、複雑な表情でした。
誰でもそんな気持ちにさせる風景でしたが
もしかしたら難を逃れた地元の
方々だったのかもしれません。
新しそうな立派な橋がかかっていました。
震災後に建設されたものかとも思いましたが
すぐ下流には旧道らしきものが見えます。
どうやら震災直前に建設されたもののようです。
このように中央部の柵が津波によって
破壊されていました。
津波はこの川伝いに上流に遡っていったのでしょう。
この津波が来るまでにどれだけの時間があったのか
全く想像出来ませんが、すぐに全力で逃げた方は
助かったのかもしれません。
子供が物心ついた頃に一度は連れてきて
津波の恐ろしさを伝えようと思います。
「津波が来たらすぐに高台に避難しましょう」
と百回以上は聞いたことがありましたが
34歳だった当時でも私はこの被害を
全く想像できていませんでしたので。
SECRET: 0
PASS:
観光バスじゃなくて車を持ってない人に対する一時帰宅支援のバスじゃないかなコレ
わりと年配の人が利用してますよ
SECRET: 0
PASS:
なんか凄い生々しい‥
SECRET: 0
PASS:
>Kaningさん
そうなんですか。ありがとうございます。
家が全く残っていない地域を回っていたのは
追悼の意味があるのかもしれませんね。
SECRET: 0
PASS:
>~~-y(`・ω・´)ワーキュア(良い子のミスク)さん
これが現実なんですよね・・・